熊鈴 (くますず)
命の熊鈴。
岩手県民ということで、南部鉄器仕様の熊鈴を選んだんだけれども、とても気に入っている。
心地良い音が鳴ります。
熊鈴は、山歩きには絶対に持っておきたいもののひとつだと思う。
北海道、東北地方なら特に。
クマはどこにでもいる。
でも、東北の山でも熊鈴を身に付けていない登山者は割といる。
持っていない人の多くは、たぶんクマを身近に感じていない。
あまり山に慣れていないんだなぁと思う。
「ちょっと歩くだけだし〜」
「鈴なんて効かないでしょ〜」
と思っている人も少なくない。
ちょっと歩くだけ?
クマは、影からこそこそとヒトを付け狙ったりはしない。
クマ被害の多くは出会い頭である。
つまり、歩く時間の長さは関係ない。
山に入る人は必ず持つべきだ。
鈴なんて効かない?
これはクマが遊びに来るような山中の現場で毎日ひとりで作業する私の経験則であるけれど、熊鈴は無いより有る方が絶対に良い。
ただ、別に鈴でなくてもいい。
なんでもよいから音を出すことが重要。
ラジオも有効だし、連れがいるなら大きな声で話ながら歩くのも手である。
クマはヒトと出会いたくない。
音を出してやることで、クマがこちらの存在を認知しやすくなるので、よほどの理由がない限りわざわざ近寄っては来ない。
それに、熊鈴は他の登山者に対しても自分の存在を知らせてあげられて良い。
山では案外、"人" も怖い。
居ると思っていないところに人が居るのは、動物に出会うより怖い時がある。
ガサゴソ音がしても、鈴の音がしていれば、
「あぁ人がいるな、人だから大丈夫」
と安心させてあげられる。
熊鈴なんて…と思わず、絶対に身に付けて山へ行こう。
それに。
歩く度に良い音が鳴る。
気に入ったものを選べば、歩くのが楽しくなるよ。
クマ対策としては、藪の中など見通しの効かない所に入らないことも重要。
そして、お弁当などのゴミや残飯は絶対持ち帰ること。
残飯を山中に捨てたりするのは、無意識の餌付け行為。
次に来た登山者がその残飯に誘われて来たクマに襲われているかもしれないということを考えなくてはいけない。
そういえば昔、食べ終えたみかんの皮を
「有機物だから分解される」
と山に捨てて行こうとしてる人を見た。
餌付けの問題もあるけれど、そもそも本来そこになかったものをそこに残していくべきではないと私は思う。
閑話休題。
クマ撃退スプレーなんてものも売っているけれど、正直スプレーの届く距離にクマがいたら冷静のスプレーなど出来ないと思う。
クマとは最大限会わない努力をし、会った時の対処法をあらかじめ学んでから山へ行こう。
と私は思う。
姫鼠 (ひめねずみ)
ヒメネズミ。
学名: Apodemus argenteus
哺乳綱齧歯目ネズミ科。
齧歯と書いて、げっしとよむ。
山歩きに行ったら、何かが道から逃げたのが見えて。
逃げた先をチラッと見てみたら、何やら葉っぱがもぞもぞ。
逃げられるだろうな〜と思いつつ、落ちていた枝でそっと葉っぱを除けてみると。
おおーい!隠れられてないよ〜。
かわゆい。
脅かしてごめんよ。。。
ずっとびくびくしつつも、敵が去るまで動かないヤマドリタイプの戦法。
手のひらに乗るくらい小さい。
ヒメネズミはブナの実を食べるらしく、ちょうどここはブナ林なので納得。
ちなみに日本の固有種だそう。
全国的に分布しているそうだが、あまり地域的な差異が見られない種らしい。
おもしろい。
ヒメネズミや、アカネズミは、どんぐりなどの木の実を冬場の食料として土の中に埋めるんだそう。
しかし、その主がフクロウなどに捕食されてしまうと、その実はそのまま芽が出る。
こうしてネズミなどの生き物も森林の循環にとても重要な役割を果たしているという研究もあるらしい。
森は本当に学びの場だなぁと思う。
どうして山に登るのか。
という問いに、ある登山家は「そこに山があるから」と答えたらしいが。
私は。
そこに命があるから。
だと思う。
そこに生きる様々な命に出逢いたい。
自由気ままな山歩き、万歳。
物見遊山 (ものみゆさん)
・物見と遊山。気晴らしに見物や遊びに行くこと。
物見というのが観覧、遊山というのが行楽を意味するそう。
北東北には山しかない。
ということで、本格的に登山を趣味にしようと思い立つ。
百名山に行こう!
と思ったけれど、正直なところ誰かが決めた百名山より、名もなき山が好きな私。
それに、百名山は頂上付近まで車やロープウェイ等等の文明の利器で行けてしまう山も多く、また人も多い。
なんというかそのミーハー感が山を低くしてしまう。
それに百名山の選定には標高が結構重視されているようだが、私はあまり標高には興味がない。
のんびり登頂したり縦走したり、植生を観察しながらゆっくりできるような静かな山がいい。
山は登りつつも、遊びたい。
そんな山で溢れているのが北東北じゃないのか。
百名山ならぬ、百遊山。
私が勝手に選定します。
ってことで、遊山登山始めます。
野原薊 (のはらあざみ)
ノハラアザミ。
(学名: Cirsium oligophyllum)
キク科アザミ属。
花期: 8〜11月
分布: 本州(中部地方以北)
ノアザミと似ているが、ノアザミの花期は春から夏だそうなので、ノハラアザミの花期の方が少し遅い。
ノハラアザミの花は、雄性先熟。
開花した後、虫などが触れたのを感じると花粉を出すそう。
これを雄期と呼ぶらしい。
おそらく、この白いのが花粉だと思われ。
その後、花粉を出し切ると、雌蕊を伸ばして雌期になる。
蕾。
考えてみると蕾って漢字、不思議。
草冠に雷。
アザミって、名前は聞いたことあったけれど、何も知らなかった。
山を歩きながら、いろんな草花とも仲良くなりたい。
trekking shoes (とれっきんぐしゅーず)
そもそも。
トレッキングとは何なのだろう?
と思って、エクスワード君にきいてみた。
・山歩き。特に、高山の麓を歩いて風景などを楽しむもの。
・本来は南アフリカのオランダ系住民ボーア人のことばで、「牛車に乗って旅をする」意味に使われ、単に「旅をする、移住する、出発する」などの意味にも使われたという。
(引用: ブリタニカ・ジャパン、ブリタニカ国際大百科辞典)
ほぇ〜、元々はアフリカの言葉なんだ。
知らなかった。
ヒマラヤ山脈周辺の山麓周遊などに使われて、用語として定着したそう。
その他、ハイキングやワンダーフォーゲルなど似たような行為を指す言葉はたくさんある。
が、靴に関していうと、トレッキングシューズというのが現代では一般的な気がする。
ハイキングシューズもあるような気はするが、ワンダーフォーゲルシューズというのは聞いたことがない。
ちなみにワンダーフォーゲルというのは、ドイツ語で渡り鳥という意味だそう。
言葉っておもしろい。
で。
ずっと、仲間が見つからないからと言い訳していたトレッキングですが。
独りで行けばいいじゃないかと思い立ち、トレッキングシューズを買いました。
登山靴は持っていたのですが、重くて野山の散策には向かない。
でもせっかくこんなに山だらけの場所に住んでいるんだし、歩かなきゃもったいなくないか。
それにようやくテントも買ったんだし、登山キャンプに行きたい。
ということで、思い切って、トレッキングシューズをネット注文。
本来はお店でちゃんと試し履きしてから買うべきですが、近くにお店がないのでやむを得ない。
早速、稲庭岳で慣らし走行。
最初は少し硬くて痛いなぁと思ったんですが、ちょっと歩くと馴染みました。
涼しくなってきて、山にも登りやすくなりまして。
これからは紅葉も始まるので、空き時間にどんどんトレッキングに行きたいと思います。
笑う岩偶 (わらうがんぐう)
岩偶…?
おそらく土偶が土から作られているのに対して、岩偶は岩を削って作られたということなのだと推察する。
笑う岩偶。
会える場所、伊勢堂岱縄文館。
笑っている。
めちゃめちゃ笑っている。
満面の笑み。
初めてこんなに笑っている土偶に出逢った気がする。
そういえば笑顔の土偶ってあまり思い浮かばない。
そもそもほとんどの土偶にはあまり明確な表情を見いだせない。
なんとなく怒っているように見えるものもあれば、どことなく物憂げだったり、そこはかとなくぽかんとしていたり。
見る角度や照明によっても表情が変わる土偶が多い。
しかし、この岩偶は確かに笑っている。
ふと、縄文時代も笑顔は喜びや楽しみの表情だったのかなと考える。
赤ちゃんも楽しいと笑ったりすることから鑑みるに、笑顔はおそらく生得的な表情のひとつであると思う。
しかし、赤ちゃんの頃のような笑顔になれる大人はあまり多くない。
笑顔が歪んでいく。
不思議なことだ。
歪んだ笑顔は笑顔と呼べるのか?
笑顔とは一体何なのか。
それは自然か、不自然か。
笑う岩偶を見ながら考える笑顔の意味。
土偶とは、それを見ていろんなことを考える教材的存在だったのかもしれない。
伊勢堂岱遺跡 (いせどうたいいせき)
伊勢堂岱遺跡と書いて、いせどうたいいせきと読む。
時代、2000BCE〜1700BCE。
開館時間、9:00〜17:00。
休館日、毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)と年末年始。
遺跡の公開期間、4月下旬〜10月末日。
駐車場、資料館ともに無料。
ということで、感謝の気持ちを込めてミュージアムショップでお買い物。
大館能代空港の近くにあるなぁと思ったら、空港へのアクセス道路建設のための作業で見つかった遺跡なんだそう。
近くには秋田内陸縦貫鉄道の音も響く。
今年こそ乗らねば…と思いつつ。
そんな場所にある縄文遺跡です。
まずは地図で遺跡の全景を把握。
資料館で予習し、いざ参らん。
緩やかな登り。
とても歩きやすくて、素敵な道。
遊歩道。
切り株を見ながら呑気に伐倒方向を考えているが、ここも溝状遺構という遺跡の一部だそう。
もはや完全に遺跡の跡。
縄文の森と名付けられた木々の間を抜けると。
縄文遺跡に草原あり。
時代移ろえども、山河動かじ。
環状列石、すなわちストーンサークル。
同じ場所に4つも環状列石があるのは、日本でここだけだそう。
だが、そのすごさは正直あまりわからない。
遺跡内に残っている環状列石の個数よりも、当時約200年間、墓地として祭祀の場として縄文人たちの心のよりどころとなっていたという事実の方が胸にくるものがある。
合掌。安らかに。
お隣の大湯環状列石では、緑の石が好んで使われていたのに対し、伊勢堂岱の環状列石はたくさんの色の石が使われているそう。
焼くなどの加工を施してまで着色していた形跡が見られるそうで、カラフルな配石へのこだわりが感じられる。
時空間的に近いこの2つの環状列石でも、類似点と相違点がある。
縄文とは不思議な時代だなぁとつくづく感じながら、クルミの木陰でお弁当。
おにぎり。
最近の研究で、どこをかじっても具に当たるサンドイッチ法こそ最強なのではないか説が有力となり、今回採用。
おにぎりとは具を包み込むものという固定観念からの脱却。
縄文研究もおにぎり研究も尽きませぬ。